読書記録:シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性』

人は女に生まれるのではない、女になるのだ。

『決定版 第二の性 Ⅱ 体験 上』(河出書房新社)p15

 これは、フランスの哲学者、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが著書『第二の性』に記した有名な一文だ。現在「女性」という性を生きている人は、生まれながらに「女性」だったのではない。「女性」とは社会的・文化的につくられたものであって、人間は後天的に「女性とはどのようなものか」ということを学習し、女性に「なって」いく。
 この、社会的・文化的につくられた性別というものは、現在では「ジェンダー(Gender)」と呼ばれ、生まれたときに性器の形などから割り当てられた性別(Sex)とは区別されている。ボーヴォワールは「ジェンダー」という言葉が生まれるより前に、人間の性別は「つくられたもの」だということを、『第二の性』を書くことによって明らかにした。
 ボーヴォワールの『第二の性』は、70年以上前に刊行された本だが、今もなお、重要なフェミニズムの古典として読み継がれている。『第二の性』で考察されている問題は、「なぜ女性は、主体的に、自由に生きる道を塞がれているのか」ということであり、それは、現代社会を生きる女性たちにも当てはまる問題である。また、『第二の性』から我々が受け取ることのできるメッセージは、男女間の格差の問題に留まらない。『第二の性』は、トランスジェンダーとフェミニズムの連帯の可能性について教えてくれたり、あらゆる人間が抱えている矛盾点を明らかにしてくれる作品だ。
 この記事は、AFAB(Assigned Female at Birth:生まれたときに割り当てられた性別が女性)でノンバイナリー(ジェンダーアイデンティティが性別二元論に当てはまらない)である私が、『第二の性』をどのように読んだか、そして、『第二の性』を読んで得たことは何かを記録したものである。
 一人で黙々と本を読むだけが読書ではない。誰かと同じ本を読むことや、感想を共有することも、読書のひとつの形だ。この記事を通じて、あなたも私と共に、『第二の性』を読んでいただけると嬉しい。


  • 『決定版 第二の性 Ⅰ 事実と神話』河出書房新社
     シモーヌ・ド・ボーヴォワール(著)『第二の性』を原文で読み直す会(訳)
決定版 第二の性 Ⅰ 事実と神話 :シモーヌ・ド・ボーヴォワール,『第二の性』を原文で読み直す会|河出書房新社
決定版 第二の性 Ⅰ 事実と神話 「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」。神話、文学、生理学、精神分析など、男に支配されてきた女の歴史を紐解きながら、女たちの自由な可能性を提示する20世紀の画期的名著。
  • 『決定版 第二の性 Ⅱ 体験 上』河出書房新社
     シモーヌ・ド・ボーヴォワール(著)『第二の性』を原文で読み直す会(訳)
決定版 第二の性 Ⅱ 体験(上) :シモーヌ・ド・ボーヴォワール,『第二の性』を原文で読み直す会|河出書房新社
決定版 第二の性 Ⅱ 体験(上) Ⅰ巻の「事実と神話」をもとに、現代の女たちの生を、さまざまな文学作品や神話、精神分析を渉猟しつつ分析する。子ども時代、娘時代から、性の入門、同性愛の女、結婚した女まで。
  • 『決定版 第二の性 Ⅱ 体験 下』河出書房新社
     シモーヌ・ド・ボーヴォワール(著)『第二の性』を原文で読み直す会(訳)
決定版 第二の性 Ⅱ 体験(下) :シモーヌ・ド・ボーヴォワール,『第二の性』を原文で読み直す会|河出書房新社
決定版 第二の性 Ⅱ 体験(下) 上巻に続き、現代の女たちの生を分析する。母親、社交生活、売春婦と高級娼婦、熟年期から老年期へ、ナルシシストの女、恋する女、神秘的信仰に生きる女から、自立した女、そして解放まで。

『第二の性』は、どのような本なのか

 『第二の性 Ⅰ 事実と神話』の序文で、ボーヴォワールは問う。女とは何か、と。
 「子宮がある」といった身体的な機能でも、「女らしさ」でも、女というものは説明できない。しかし現実に、女は存在している。では、「女」とはいったい何なのか。
 ボーヴォワールはこの問いに、「女は〈他者〉である」と答える。

女は男を基準にして規定され、区別されるが、女は男の基準にはならない。女は本質的なものに対する非本質的なものなのだ。男は〈主体〉であり〈絶対者〉である。つまり、女は〈他者〉なのだ。

『決定版 第二の性 Ⅰ 事実と神話』(河出書房新社)p17

 男性はつねに〈主体〉であり、女性はつねに〈他者〉である。この関係が入れ替わることはない。しかし、すべての人間は、〈主体〉として今ある自分を乗り越えることによって、自由を実現する。つまり女性は、自らを〈主体〉として自由を実現したいという欲求と、女性を〈他者〉にとどめておこうとする男性中心の社会からの要請との間で、引き裂かれている。
 この葛藤のなかで、どうすれば女性は一人の人間として自己実現ができるのか。女性が主体的に、自由に生きる道を塞いでいるものは何なのか。その障害物を乗り越えることは可能なのか。『第二の性』を通じてボーヴォワールが明らかにしたいと考えている問題は、こういったことである。
 ボーヴォワールは、『第二の性 Ⅰ 事実と神話』の第一部で、女性が生理的、心理的、経済的に背負っている「宿命」はあるのかということを、生物学、精神分析、史的唯物論の観点から検討していく。だが、最終的には、どれも女性の運命を決定するものではないという結論が導かれる。
 その上で、第二部では男性が作り上げた歴史の中で、女性が〈他者〉になった経緯が示される。そして、第三部では、男性が女性に求める「神話」について考察される。男性が自分たちに都合の良いように作り上げた神話は女性に押し付けられ、女性は〈他者〉であるように求められている。〈他者〉であることと、自律した個人として生きることは両立できず、そのために女性は不安定な状態に置かれているとボーヴォワールは推察している。
 次にボーヴォワールは『第二の性 Ⅱ 体験』で、女性はどのように育てられるのか、女性が生きる状況はどのようなものかということを、女性の日記や文学作品などから分析していく。
 第一部「女はどう育てられるか」では、生まれたときに女性という性別を割り当てられた人間が、幼い頃から「女らしい」とされる受動性を身に着けるように教育され、反抗しながらも次第に「女らしさ」を受け入れて、〈他者〉としての女性に「なって」いく、という過程が明らかにされる。そして第二部「女が生きる状況」では、〈他者〉としての女性に「なった」者の多くが、結婚によって男性に従属することになり、家庭の中に閉じ込められて自己実現できない状態にある、ということが示される。
 そのような状況にある女性たちが自由を得るためにはどうすればいいのか。ボーヴォワールは、第四部「解放に向かって」において、女性の状況を変えるための解決策を示す。女性が幼い頃から男性と同じように育てられ、女性が男性と活発に競争するようになり、男性が女性を男性と同じように尊敬し、女性が男性を自分の仲間とみなすようになれば、女性は自由に自己実現することができるだろう、と。
 『第二の性』の最後では、人類が自由を得るためには、男性と女性、両者の友愛を肯定することが何よりも必要だと述べられる。そもそも、男性も女性も、主体的かつ受動的な存在である。そのため、男性と女性は、自分のあいまいさを認めることで、敵対し合うのではなく、友好関係を築くことができる。これが、ボーヴォワールの結論である。

『第二の性』を読んで考える、現代社会の男女のこと

 『第二の性』は、1949年にフランスで刊行された本であり、その内容は現代の日本には当てはまらない部分も多い。しかし、現代の日本社会に存在する男女格差の問題を再認識させられるような記述も多く含まれている。

男と女が世界を平等に分かち合ったことは一度もない。女の地位は向上しつつあるとはいえ、いまなお、女は重いハンディキャップを背負っている。

『決定版 第二の性 Ⅰ 事実と神話』(河出書房新社)p25

 2025年の現在でも、男と女が世界を平等に分かち合っているとは言えない。日本では、男女の賃金格差は依然として存在し、女性は出世しにくく、女性の政治家は少しずつ増えてきてはいるものの、男性の政治家の数と比べればとても少ない。いまだに女性は男性にとっての〈他者〉であり、男性中心の社会の中で周縁化され、抑圧されているのである。
 男女間の格差の原因のひとつには、男性よりも女性の方が家事や育児の負担が多く、女性が職場で活躍しにくいというジェンダー非対称性が挙げられる。男性と女性が家事や育児の仕事を分担しながら働ける社会にならなければ、男女の平等は実現しない。そのためには、男性が直面している長時間労働の問題を解決しなければならない。女性は男性中心の社会に抑圧されているが、男性もまた、男性中心の社会に抑圧されている。このことは、『第二の性』の二巻でも触れられていた。

夫婦はともに、自分たちの作ったものではない制度の抑圧を受けているのである。男は女を抑圧していると言われると、夫は憤慨する。彼のほうが抑圧されていると感じているのだ。たしかに男は抑圧されている。しかし事実は、男の法律が、男たちによって男たちの利益のために作り上げられた社会が、女の条件を、現在では男女双方にとって苦痛の種となっているようなかたちに定めたのである。

『決定版 第二の性 Ⅱ 体験 上』(河出書房新社)p473

 男女の平等を実現し、すべての人が自由に生きられる社会をつくるためには、男女が互いを尊重し合い、友好関係を築く必要がある。これが、ボーヴォワールの主張であった。しかし、現代の日本社会は、主にXなどのSNS空間において、男女が対立を深め、互いに憎しみ合っているように思える。
 人間を男性と女性の二つに分け、両者をまったく違う生き物とみなして敵対するというのは、人間の実態に即していない。そもそも男性と女性の違いは、あいまいなものだ。ボーヴォワールの言うように、男性は「男性らしさ」を教わって男性に「なる」のであり、女性は「女性らしさ」を教わって女性に「なる」のである。そのため、「男性とはこういうものだ」「女性とはこういうものだ」という主張を押し付け合って、自分と性の違う相手を敵とみなすのは間違っている。
 誰もが「男性らしさ」「女性らしさ」といったジェンダー規範を押し付けられない社会をつくること。自分と違う属性の他者を尊重し、友好関係を築き上げるという努力。こういったものが、今の社会に必要なのではないだろうか。

『第二の性』を読んで考える、トランスジェンダーのこと

 私は、生まれたときに女性と判定されたが、女性という集団に帰属意識を感じていないノンバイナリーである。生まれたときに割り当てられた性別を生きることができなかったという点で、広義のトランスジェンダーに含まれる。『第二の性』は、男性との関係のなかで女性が直面している問題を明らかにするという構成のため、自分のようなノンバイナリーやトランスジェンダーは、本の中に登場しない。
 だが、今であればトランスジェンダーとして自分を定義する可能性のある人の存在は、『第二の性 Ⅱ 体験』の第四章「同性愛の女」で取り上げられている。そこに記されているのは、女性と判定されて生まれたが、自分を女性だと思ったことがなかったり、自分を男性だと認識している人の体験である。
 社会の中には、女性に「なる」ことができなかったトランスジェンダー男性やノンバイナリーや、男性に「なる」ことができなかったトランスジェンダー女性やノンバイナリーが、過去から現在まで、確かに存在している。私もまた、そのようなノンバイナリーのひとりだ。
 『第二の性』という作品は、トランスジェンダーやノンバイナリーの存在を考慮していない。それでも、ジェンダーの社会構築性を指摘する『第二の性』は、トランスジェンダーやノンバイナリーにとっても重要な作品である。『シモーヌ(Les Simones)VOL.1――特集:シモーヌ・ド・ボーヴォワール「女であること」:70年後の《第二の性》』(現代書館)に掲載されている、藤高和輝『「なる」ものとしてのジェンダー』では、『第二の性』をこのように評している。

ボーヴォワールの『第二の性』は多様かつ曖昧に生きられるジェンダーを肯定する思想として、現在、私たちに贈られているのだ。そして、多様かつ曖昧に生きられるジェンダーを肯定すること、その生存可能性を押し広げることは、トランスジェンダーにとってだけではなく、ジェンダーの生きづらさを経験しているすべての人にとっても、そのジェンダーがより平等に尊重される社会を実現することと結びついていることを、彼女の言葉は示唆している。この意味で、彼女の思想はトランスジェンダーとフェミニズムの連帯を指し示す思想としても、私たちに贈られているのである。

『シモーヌ(Les Simones)VOL.1――特集:シモーヌ・ド・ボーヴォワール「女であること」:70年後の《第二の性》』(現代書館)藤高和輝『「なる」ものとしてのジェンダー』p53

 現在、トランスジェンダーとフェミニズムは、互いの権利が衝突し、対立するものとして捉えられてしまっていることもあるが、実際は連帯することが可能であるし、連帯しなければならない。多様かつ曖昧に生きられるジェンダーを肯定する思想として『第二の性』を読み解くと、『第二の性』は、トランスジェンダーとフェミニズムの連帯の可能性を私たちに教えてくれる作品にもなるのである。

『第二の性』の序文で語られる、すべての人間が抱える矛盾

実際、どんな人間にもそれぞれ自分を主体として主張したいという倫理的な要求とならんで、自由を逃れてモノになりたいという気持ちがあるからだ。だが、これは不幸な道である。なぜなら、受動的で、疎外され、自分を見失った人間は、超越への道を断たれ、あらゆる価値をだまし取られて、他人の意思の餌食になってしまうからだ。けれども、これは楽な道でもある。この道をとれば、各自が本来的に引き受けるべき実存の不安と緊張を避けることができる。

『決定版 第二の性 Ⅰ 事実と神話』(河出書房新社)p26

 『第二の性』を読んで、個人的に最も印象に残ったのはこの箇所だ。女性がなぜ自分たちを〈他者〉にする男性の観点に服従してしまうのか。その理由のひとつとして、この文章は登場する。
 人間は、人生の目的を自分で決めて自由に生きたいという要求と、人生の目的を自分以外のものに預けて楽になってしまいたいという要求の二つを持っている。あらかじめ定められた「本質」を持たない人間は、生きる目的を自力で見つけなければならない。そして、自分の進む道を選んだ責任は、自分自身で負わなければならない。自由を放棄して他人に身をゆだねれば、その責任から解放されて楽になれる。女性が〈他者〉になることによって得られるメリットは、自由に生きる責任から逃れられることなのである。
 これは、男性と女性だけではなく、あらゆる抑圧者-被抑圧者の関係に当てはめることができる。強いものに従い、自分の自由意志で生きることを放棄することは、楽な道だ。しかし、その道を選べば自由を失う。自由を諦めることは、ボーヴォワールによれば、実存主義のモラルに反することである。

すべての主体は、さまざまな投企を通して具体的に自分を超越として立てる。すべての主体は、新たな自由に向かってたえず自分を乗り越えることによってはじめて、自由を実現する。果てしなく開かれた未来へ向けての発展こそが、現に生きている実存を正当なものにするのだ。超越が内在に陥るとき、実存は「即自」に、自由は事実性へと堕落する。この転落は、もし主体が同意したものなら、倫理的な過ちである。無理に押しつけられたものなら、欲求不満や抑圧のかたちをとる。どちらにしても、それは絶対的な悪である。どんな個人も自分の実存を正当なものにしようとするとき、実存とは自分を超越しようとする無限の欲求であることを実感する。

『決定版 第二の性 Ⅰ 事実と神話』(河出書房新社)p40,41

 自由を手に入れて自己実現をしたい。しかし、自由を手放して楽になりたい。この矛盾の中で、人間は生きている。強者に自分を明け渡して楽になりたいと、私は何度も思ったことがある。そのため、『第二の性』の序文は私の心を打った。
 私はいつも助かりたいと思っている。楽になりたいと思っている。しかし、自分の持っている自由を手放して、他人に抑圧されることを受け入れてはならないのだ。そのことを教えてくれた『第二の性』は、私にとって、とても価値のある作品になった。
 私にとって、『第二の性』の序文で語られる、自由についてのボーヴォワールの考え方が最も印象に残ったように、『第二の性』のどの部分を重要と感じるかは、読む人によって変わるだろう。膨大な情報量を有する『第二の性』は、とても豊かな読書体験を私たちに提供してくれる作品だ。『第二の性』を読むことが可能な人は、ぜひ、この本の読解を通して、『第二の性』の新たな読み方を見つけてみてほしい。

『第二の性』を読むにあたって参考にした本

  • NHK「100分de名著」ブックス サルトル 実存主義とは何か 希望と自由の哲学 NHK出版 海老坂 武(著)
    サルトルの実存主義についての入門書。『第二の性』は、実存主義のモラルの観点から女性についての問いを立てている。人間は、何かしらの目標を立てて、未来に向かって自分を投げ出し(投企し)、今ある自分を乗り越える(超越する)ことによって自由を実現する、という実存主義の考え方を理解するにあたって、この本は参考になった。
  • 戦後フランス思想 サルトル、カミュからバタイユまで 中央公論新社 伊藤 直(著)
    サルトル、カミュなど戦後のフランスの思想家や作家を紹介している新書。ボーヴォワールの思想について詳しく解説している章があり、参考になった。
  • シモーヌ(Les Simones)VOL.1――特集:シモーヌ・ド・ボーヴォワール「女であること」:70年後の《第二の性》 現代書館 シモーヌ編集部(編)
    シモーヌ・ド・ボーヴォワールに関する論考が掲載されている、フェミニズム入門ブック。5人の研究者がボーヴォワールの思想を平易に論じていて、読みやすく、参考になった。