抑圧に抵抗し、差別に反対する「悪い」魔女の物語
『ウィキッド ふたりの魔女』は、生まれ持った肌の色を周囲から嫌悪されているエルファバと、皆に好かれて承認されることを生きがいとしているグリンダが、強い友情で結ばれた後、生きる道を違えるまでの物語である。ふたりの間にあった決定的な違いは、マイノリティに対する激しい差別や弾圧に気付くことができたか、そうでないかだ。
『ウィキッド』の世界では、人間たちが団結するための共通の敵として、言葉を喋る動物たちが迫害の対象になっている。動物たちへの差別に加担することを拒否して、権力者たちに抵抗するエルファバ。「悪い魔女」というレッテルを貼られながらも、彼女は抑圧という名の重力に逆らって、魔法の力で空を飛ぶ。このシーンで歌われる『Defying Gravity』は、現実に存在するあらゆるマイノリティをエンパワメントする抵抗の歌だと言えるだろう。
エルファバとは反対に、差別の深刻さに気付くことができないグリンダは、権力者たちには逆らわず従った方が良いと考えている。エルファバとグリンダの生き方を比較したとき、自分の身を守るための「賢い」選択を取っているのはグリンダの方だ。権力者に従い、マイノリティを抑圧し、周囲からの支持を獲得して生きていく道の方が、そうでない道よりも圧倒的に生きやすい。しかし、エルファバは自分の「本能」を信じて、その道を選ばない。
『ウィキッド』で描かれる差別の構造は、現実世界に存在するそれと見事に重なっている。マイノリティに対する差別は、権力者にとって有利に働く。差別を受けていないマジョリティは、差別の存在に気付くことができない。そのために、権力者にとって有利な差別構造が温存される。たとえ差別に反対する声を上げたとしても、差別の存在に気付かないマジョリティによって、「差別など存在しない」と攻撃されてしまう。
今の日本社会でも、女性差別、外国人差別、障害者差別、性的マイノリティ差別などが存在し、あらゆるマイノリティが『ウィキッド』の喋る動物たちのように差別されている。そして多くの人が、そうした差別の存在に気付けないでいる。
エルファバが、差別に反対し、抑圧に抵抗する強い意志を持った魔女として私たちをエンパワメントしてくれるキャラクターであるのに対して、グリンダは、特権を持つ者の無自覚な傲慢さを私たちに気付かせてくれるキャラクターだ。私たちは、いかに自分のことを「善良」だと思っていても、どこかで誰かを気付かずに無視しているかもしれない。全く意識せずに、差別に加担しているかもしれない。差別を受けていない者が、差別の存在に気付くことは難しいことだ。しかし、私たちは「差別されない」という特権を持っているからこそ、あらゆる者の声に耳を傾けて、差別に反対しなければならない。
映画の冒頭で、将来、エルファバは「悪い魔女」として死ぬこと、グリンダは「善い魔女」として皆に好かれることが明らかになっている。『ウィキッド ふたりの魔女』は2部構成の前編だ。エルファバの抵抗の物語がどのような結末を迎えるのか。グリンダはマイノリティを迫害する差別の構造に気付けるのか。エルファバとグリンダの友情の行方はどうなるのか。後編の公開が待ち遠しい。
